『Digital Wabi-Sabi ─As Easy As EWI』 セルフライナーノート


音楽は人によって多様な価値観、感性によって評価されるものですから、本来解説は不要です。
ましてや一旦発表した作品は作者から独立した存在として世の中を泳いでいく運命ですから、以下、その意味では「余計なこと」をいっぱい書きます。

●ご挨拶

還暦記念、あるいは日光移住3周年記念として、久々に音楽アルバムを作ってみました。
前回の 『So Far Away ~たくき よしみつ SONGBOOK1』を完成させたのが2010年春でしたから、それから4年半が経ちました。
『So Far Away』は、メジャーデビューし損なった自分の失敗人生を悔いたまま死ぬのはやめようという「けじめ」のようなもので、ある意味後ろ向きな代物でしたが、今回は前を向いて作りました。

人間、晩年は子供に戻っていくといいます。目下、それを日々実感しています。肉体のエネルギーが弱まり、ポンコツになっていくにつれ、精神はどんどん子供っぽくなってきました。しかし、それも今は肯定的にとらえています。
売れたいとか、誉められたいという欲求を捨て、完全に「自分のために作った」アルバムです。
客席にいるのは自分だけ。自分をいかに楽しませるか、満足させられるかということだけを考えて作りました。ですから、聴衆としての自分は満足しています。満足しているだけでなく、さらに先に進めそうな気持ちにもなっています。
このことだけで十二分に幸せなことですが、少しでも快感を共有していただける人がいたら、無上の喜びです。

●音感という孤独

今回のアルバムはタイトルを「デジタル・ワビサビ」としました。
デジタル楽器であるEWIを使ってどれだけ音楽の深みを表現できるか……という試みではあるのですが、本当のテーマはデジタルがどうのこうのではありません。
誤解を招きそうですが「メロディ至上主義」とでもしておきましょうか。肉声やギターの響きといった「音」に対する快感よりも、奏でられるメロディそのものの価値を何よりも重視する音楽──をめざして作りました。

実は、人間の音感というのは人によって全然違っていて、同じ音楽を聴いてもまったく別々のとらえ方をしているということが、大人になるにつれて分かってきました。
そのことは拙著">『あなたの音感は何型か?』(アマゾンKindleブック)に詳しく書きましたが、音楽をどのように脳で受け止めているか、その方法が人によってまちまちなのです。
そして、どうも私の音感はずいぶん特殊で、多くの人とは違っているようだということも分かってきました。

幼いときに「移動ド」で音感教育を受けたので、長い間、私にとってメロディは一種の「言語」でした。
耳に入る音楽は全部「移動ド」によるメロディとして頭に入ってくるのです。
例えば、ベートーベンの『運命』の出だしはどんな調であっても「ミミミドー レレレシー」だし、『上を向いて歩こう』なら「ドドレミドラソ ドーレミドラソ……」です。

音楽だけでなく、列車が線路の継ぎ目を越えて行くときのガタンゴトンという音や、鳥のさえずりも、「移動ド」のメロディにはまるときはドレミの階名で聞こえてきます。
これはいわゆる「絶対音感」とは違います。
例えば、ウグイスのさえずりが私には「ミドレ、ミドレ、ミドレ、ミドレ……」と聞こえてくるとき、絶対音感の人は「ソミbファ、ソミbファ、ソミbファ、ソミbファ……」と聞こえたりします。これは私がTANUPACKレーベルで制作した最初のアルバム『狸と五線譜』の一曲目『ウグイスの主張』で実際に確認できます。あの曲の冒頭のウグイスのさえずりが「ミドレ、ミドレ、ミドレ、ミドレ……」と聞こえる人は私と似た音感を持っていますし、「ソミbファ、ソミbファ、ソミbファ、ソミbファ……」と聞こえて、「ああ、この曲はEbスケールの曲だね」とすぐに分かる人は絶対音感の持ち主です。

●融合と拡張

幼いときに「相対音感移動ド型」の音感を教えられたまま、小学校に上がると同時にプツッと訓練をやめてしまった私は、その後、ジャズやボサノバ、ブルース、あるいは『グリーン・スリーブズ』のような短調でも長調でもないスケール(『グリーンスリーブズ』はメロディックマイナースケールの上に作られたメロディ)の音楽をどう消化していいのか分からず、困惑することになります。
長調・単調の音階(教会旋法)から外れた音が多く散りばめられたメロディは「ドレミファで歌いきれない」からです。
しかし、ジャズやボサノバにも、心に染みるメロディはたくさんあります。聴きこむにつれ、むしろドレミファ音階から外れた音が適度に入っているメロディがかっこよく感じるようにもなってきます。
移動ド音感は楽器の演奏技術習得やオーケストラアレンジなどにとっては百害あって一利なしだと唾棄する音楽家もいます。しかし、私はやはり自分の中の移動ド音感を捨てる気にはなれませんでした。理論や超絶技術で音楽を征服するのではなく、心の中からふっと湧き出てくるメロディを形(実際の音)にすることが、自分にとっての音楽だという「信仰」のようなものを持っていたからです。
そこで、自分の頭の中に根づいている「ドレミファ音感」を(捨てるのではなく)「拡張」する必要が出てきました。

●サックスやチェロへの憧れと諦め

私がそのことを意識し始めたのは高校生から大学生にかけてでした。樋口康雄大野雄二が作り出すメロディやハーモニーの心地よさに酔いしれ、なんとか自分もあんなかっこいい音楽を作れないかなあ……と憧れたものです。
それは、歌のメロディに宿る価値観とはちょっと違う感覚の音楽世界で、表現するにはロングトーンが豊かに響く楽器が必須のように思えました。音色や味わいの点で、私の趣味に合っていたのはサックス(特にソプラノ)やオーボエといった吹奏楽器、あるいはチェロやヴィオラなどの擦弦楽器でした。
しかし、どちらも演奏技術を習得するには大変な努力と時間が必要で、怠惰な私はすぐに諦めてしまいました。自分は作曲家なのだから、演奏はうまい人に任せておけばいいという考えもありました。
20代でメジャーデビューのチャンスを掴み、譜面を書いてアレンジャーに渡せば、スタジオに超一流のスタジオミュージシャンが集まってきて想像以上の演奏をしてくれるという経験もしたため、自分では演奏しなくてもいい、という考えはさらに決定的になりました。
しかし、デビューアルバム録音中に相方と決裂してメジャーデビューに失敗。30代に突入してどんどん人生がじり貧になっていく中で、このままでは自分が作ったメロディを形(音)として残せないという焦りが募ってきました。
そこで、やはり人前でちゃんと演奏できる楽器をひとつは持とうと決意したのが37歳のときです。このときも、チェロかサックスのどちらかにしようと思ったのですが、37歳から始めてすぐに人前で聴かせられる腕になるのは無理だろうと諦め、いちばん身近だったギターをプロのギタリストについて練習し始めました。これがギターデュオ KAMUNA が誕生するきっかけでした。

●EWIとの出会い

KAMUNAの誕生は私の人生の中で奇跡的なことだったと思います。ギターの演奏技術だけでなく、多くのことを学びました。
しかし、人生も終盤を迎えるにあたって、やはり自分の心の中に「本当にやりたかったことは、単音ソロ楽器で上質なメロディを奏でる音楽を作り出すこと」だったのではないかという思いが捨てきれずに残っていることを感じるようになりました。
チェリストを探したり、自分でもう一度だけ挑戦しようと50代に入ってからYAMAHAのサイレントチェロを買ってみたり、悪あがきを続けましたが、うまくいきません。
いっそウィンドシンセサイザーならできるのではないかと、YAMAHAのWX5の中古を買ってみたりもしましたが、「なんか違うよな~」とすぐに放り出してしまいました。
57歳のときには、ザフーンというリコーダーの吹き口にサックスのリードを取り付けたような楽器にまで手を出しましたが、音を出した瞬間、ネコも妻も嫌~な顔をします。これも3日もしないうちに転売する羽目になりました。
その直後、諦めるなら可能性が少しでもありそうなものは全部試してからにしようと、AKAIのEWI4000Sというウィンドシンセサイザーの中古をヤフオクで落札。これもどうせWX5の二の舞になるのだろうと思いつつ吹いてみると……ん? 意外にいい音。そして、外部音源が必要なWX5では得られなかった楽器との一体感もある。これはもしかするといけるかもしれない、と、それから数日間、ちょっとだけ気合いを入れて練習をしてみました。で、数日後には、この楽器と一生つき合っていこうと決めていました。今度こそ投げ出さずに続けよう、と。それが57歳と6か月のときです。

●デジタル・ワビサビ

『Digital Wabi-Sabi  ─As Easy As EWI』 しかし、始めるのが遅かったという年齢の壁もさることながら、「薄っぺらさ」「電気がなければ音が出ない」というデジタル楽器の宿命からは逃れられません。吹きながら「ほんとにこんなことしていて意味があるのか?」と、何度も自問しました(今でもし続けています)。
周囲からも「なんであんなデジタル玩具に手を出すんだ。あんたには歌とギターがあるじゃないか」とたしなめられます。完全アウェイ状態。
しかし、私がやりたいのは人前で演奏することではなく、世に出ていないメロディを形(音)にして残すことです。
私が作ったメロディを演奏してくれる演奏家がいればいいのですが、演奏家に出逢えないまま死ぬのではなんにもなりません。であれば、自分が持てる手段を駆使するのは当然でしょう。
EWIも打ち込みも、私にとっては有効で合理的な「手段」です。

デジタルな手段で深い音楽的な感動を与える/得ることは難しい?
特に、美しいメロディやジャズ、ボサノバのかっこいい響きを楽しむことは難しい?
……まあ、そうでしょう。生の楽器にはかないません。
アナログな手段だけでメロディを形(音)にするのが理想ですが、そのための経済的余裕や時間を得られないなら、今の自分が駆使できる手段を使って最大限のことをやればいい。ね、「前向き」でしょ。
……とまあ、長くなりましたが、このアルバムを作った経緯はこういうものでした。

チープじゃん、インチキじゃん、薄っぺらじゃん……というご批判は甘んじて受けます。でも、私はこのアルバムを作ってみて、そうした物足りなさよりも、自分の心の中にあった、あるいは瞬間的に生まれてきたメロディが音として残せることの喜び、快感のほうがはるかに大きいと感じています。
デジタルは手段にすぎない。大切なのはそれによって表現したメロディの価値なのだ、と。

今後も「メロディ至上主義」を貫いて音楽制作を継続するつもりです。続けるぞ、という気持ちを込めて「Vol.1」としましたが、果たして「デジタル・ワビサビ」シリーズの Vol.2 はあるのか?
もしVol.2を作ることができたら、サブタイトルは「I believe in MELODY」にしようかと思っています(笑)

2014年8月  たくき よしみつ

『Digital Wabi-Sabi  ─As Easy As EWI』 『Digital Wabi-Sabi ─As Easy As EWI』

これはあなたが今までに聴いたことのない種類の音楽かもしれない
「メロディの価値」にこだわりぬくが、手段としてはデジタルを使う
ウィンドシンセ「EWI」で表現する「デジタル・ワビサビ」の世界!

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